【弘法大師ゆかりのお寺~三重~】 金生山 弥勒院 善福寺

弘法大師ゆかりのお寺

弘法大師御誕生1250年記念 に松阪・多気・大台にあるゆかりの深い真言宗寺院七山にお参りするという『松阪七弘法大師巡り』が令和5年度より開始されました。今回はそのうちの1つである金生山 弥勒院 善福寺へお参りしてきました。

金生山 弥勒院 善福寺

早朝7:00過ぎだったのでまだ誰もいませんでした。う~ん。。門にある三角コーン退かしたい(笑)

山号額の「金生山」の金文字が煌びやかです。

門をくぐると前方に本堂、石畳の道を挟んで右側には修行大師像、四国八十八ヶ所霊場 お砂踏み、左側には大寒の湧水があります。

修行大師像

弘法大師修行時代を想像して造られた修行大師像です。像の足元に柄杓があったので、修行中のお大師様にお水を掛けました。

水子地蔵菩薩

錫杖を持っている水子地蔵です。錫杖の鈴の音に気づいた子供の霊が集まってくると、水子地蔵は子供たちを成仏させると考えられています。その他、水子地蔵には子供を抱いている地蔵、合掌している地蔵があるそうです。

四国八十八ヶ所霊場『お砂踏み』

この像を時計回りに回り、足元の四枚の石の下に、四国八十八ヶ所霊場のお砂が納められているので、『南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう』とお唱えしながら、阿波の国(発心の道場)→土佐の国(修行の道場)→伊予の国(菩提の道場)→讃岐の国(涅槃の道場)の順に一巡すると四国八十八ヶ所霊場をお参りしたのと同じご利益を得られるそうです。

まずは阿波の国から。写真の右下に「阿波の国」と刻まれた石がありました。

「阿波の国」の石の前で、『南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう』とお唱えしました。次は「土佐の国」へ。

同じように『南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう』とお唱えし、「伊予の国」へ。

こちらでも同じようにお唱えし、ラストの「讃岐の国」へ。

『讃岐の国』でお唱えしてお砂踏み完了。これで四国八十八ヶ所霊場を全てお参りしたのと同じご利益を得られます!でもやっぱり自分の足で全ての霊場を回りたいですね。。

大寒の湧水

古来より大寒に採取した湧き水を、台所など火を使う所に祀ると、一年間の「火防」の御守護をいただけると伝えられています。自由に採取できますが飲めないとのことでした。

本堂

善福寺の本堂で、ご本尊は薬師如来です。

大師堂

善福寺の大師堂です。

大師堂の右側にはお賓頭盧びんずるさまがおられました。賓頭盧さまは病気を治す力をお持ちで、病のある部位を撫でるとその病気が治るという信仰があり、撫仏なでぼとけとも言われているそうです。

横からも撮影(笑)

水掛不動明王

私たちの代わって苦を受けてくださります。

善福寺の御朱印

最後に御朱印をもらいに社務所へ。善福寺は賽銭箱にお金を入れて、書き置き御朱印をもらう感じでした。

弘法大師御誕生1250年記念の特別な御朱印をもらいました。

善福寺へのアクセス

JR東海 松阪駅下車、徒歩5分 

ちょっと寄り道 ~松阪城跡~

松阪城跡

帰りにちょっと足を伸ばして松阪城跡へ行ってきました。JR松阪駅から徒歩15分ですが、駅からはバスも出ています。

表門跡

松阪城の表門跡です。明治初期まではこちらに本瓦葺き2階建の本格的な櫓門がありました。ここから中へ進みます。

松阪市立歴史民俗資料館

現在は松阪市の歴史民俗資料展示施設ですが、明治45年(1912)当初は大正天皇行啓記念として建てられた旧飯南部図書館でした。

古民家風で落ち着いた佇まいですね。

梶井基次郎文学碑

23歳の夏、病気療養のため殿町の姉宅に滞在。碑文は翌年に発表された「城のある町にて」の一文。友人中谷孝雄の揮毫で昭和49年(1974)建立されました。

松阪開府之碑

裏面は庄司松阪市長の撰文により、蒲生氏郷から服部一忠、古田重勝・重治を経て紀州藩領になる履歴が刻まれています。昭和25年(1950)建立されました。

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました