【弘法大師ゆかりのお寺~京都~】大慈山 乙訓寺

近畿地方

乙訓寺は弘法大師ご在住のお寺として、また牡丹のお寺としても有名です。残念ながら訪問した時は牡丹が見られる時期ではありませんでした。。

【弘法大師ゆかりのお寺~京都~】大慈山 乙訓寺

表門(赤門)

長岡京市指定文化財である乙訓寺の表門です。

地蔵堂

日限地蔵尊

小さくてかわいい地蔵菩薩がたくさん!「日を限って祈願すると願いが叶えられる」と伝えられています。

十三重石塔

乙訓寺のモチノキ

乙訓寺のモチノキは京都府内でも屈指の巨大さを有する名木で、乙訓寺のシンボルとなっています。昭和9(1934)年の室戸台風で幹が折れ、近年枯れ枝が目立ち、頭部から雨水が入り腐食と空洞化が進み、樹勢が衰退してしまいましたが、元の姿に戻すべく蘇生、保全対策を講じたことにより再び以前の樹勢が戻ったとのことです。

修行大師像

弘法大師修行時代像です。

本堂

元禄8年5、6月に竣工し、当初は大師堂と呼ばれていたそうです。ご本尊の合体大師像が安置されています。

本堂のそばには不動明王像があります。近くで見ると結構迫力あります。。

鐘楼

長岡京市指定文化財である、乙訓寺の鐘楼です。牧野成貞なりさだの寄進による建立と伝えられています。鐘は戦時に供出され、昭和41年に鋳造されました。前の鐘銘を再刻していて元禄9年(1696)10月に精海が三条釜座さんじょうかまんざ信州大掾藤原国次しんしゅうだいじょうふじわらくにつぐに造らせたということです。

鎮守八幡社

長岡京市指定文化財、乙訓寺の鎮守八幡社ちんじゅはちまんしゃです。享保8年(1723)の修理により桧皮葺ひわだぶきから柿葺こけらぶきに替えています。その後、棧瓦葺さんがわらぶきに替えたのは明治以降と言われています。平成元年に修理し、軒の一部を柿葺し、その上に銅板を葺いているとのことです。

聖観世音菩薩像

裏門

表門同様、長岡京市指定文化財になっています。

乙訓寺 御朱印

乙訓寺の御朱印をいただきました。

 

アクセス

・阪急長岡天神駅から阪急バスで10分 薬師堂下車から徒歩で5分
・JR長岡京駅から阪急バスで15分 薬師堂下車から徒歩で5分

ちょっと寄り道

帰りにちょっと寄り道。細川家、明智家ゆかりの城跡公園、勝竜寺城公園に行ってきました。勝竜寺城公園はJR長岡京駅から歩いて10分の距離です。

勝龍寺城

勝龍寺城は元亀2年(1571年)に織田信長に命じられて細川藤孝が築城しました。天正6年(1578年)織田信長の意向により細川藤孝の嫡男忠興と、明智光秀の娘玉(後のガラシャ)の婚礼が執り行われた他、連歌会や能、乱舞が催されるなど、文化的な交流の場所でもあったそうです。

2階にある歴史ミュージアムでは細川家、明智家の人々の生涯についての紹介、合戦に関わる展示、発掘調査によって発見された瓦、輸入磁器や、細川藤孝書状などが展示されています。

細川忠興・明智玉(細川ガラシャ)像

勝龍寺城は細川忠興と明智玉(ガラシャ)が2年間過ごした場所です。新婚時代に1男1女を授かり、幸せな日々を送っていました。

石垣の材料

ここに集められた石仏、五輪塔、板碑は、すべて勝龍寺城跡の発掘調査で出土されたものです。

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